Team-Cは1995年にHummingbird PG Club内でコンペ志向のメンバーが活動を開始した「コンペチーム」がその前身となっています。当時は藤野を初めとして阪本、本馬、江上らパイロット証取立てのメンバーが中心となり、1995年9月に立山で開催された「プレ日本選手権」が初陣となりました。

翌1996年からは、当時の「ナショナルポイントリーグ」を中心に競技活動を本格化させて行きました。この頃に「コンペチーム」と言う名称から「Team-C」へと変更されました。名前の由来としては、1992年当時から国内のパラグライダーコンペシーンで勢力を誇る「チームAerotact」が俗に「Aチーム」と呼ばれ、その他のメーカー系チームが「Bチーム」と呼ばれていたことから、「それら分類に属さない者の集まり」と言う意味から「Cチーム」と言うネーミングを逆転させて「Team-C」となったのです。

※「Aチーム」・「Bチーム」の逸話は、1992年当時の「パラワールド」誌において、松永文也氏が述べている

そう言った背景から、正式結成を1996年としているのです。
 
 
1996年には「立山」、「尾神(春)・(秋)」、「高山ホルンバレー(春)・(秋)」などの大会に参加しつつ、立山エリアではタスクを組んでトレーニングを行っていました。成績もパッとしない時期が長く続くことになります。1998年からは高林小百合がチームに加入し、数多くの大会で女子部門での上位に入り、チームの宣伝に一役買う「女性上位」時代がしばらく続きます。
 
尾神、獅子吼で入賞した高林小百合
 
1999年に立山では理論派と言われた佐藤裕がチームに加入しました。この頃は積極的に大会に参加しているメンバーが藤野、佐藤、高林と言う少数であり、創生メンバーであった阪本や本馬、江上らは事実上活動していない状態でした。更に追い討ちをかけるように1999年のJリーグで成績が振るわない藤野は、2000年に一旦競技活動を凍結してしまいます。その間に活躍したのは、2000年からチーム入りした広野幸弘。当時幅広い支持を得ていた「F1パラグライダーパフォーマンスリーグ」にF2クラスで参戦し、見事F1総合3位、F2においては準優勝と言う結果を残しました。
 
 
F1リーグで活躍した広野幸弘
 
2001年には多くのメンバーが加入してTeam-Cの全盛期を迎えます。競技活動を再開した藤野は活動をF1にシフト、同時にチーム活動の軸足を「育成」に置いてメンバーをサポートしました。この年は、藤野自身がF1獅子吼、F1立山で優勝、リーグ優勝争いにも最終戦まで絡むなどの活躍を見せました。また、地元立山ではF1を藤野、F2を山岸真紀代とチームでのダブル優勝を果たしました。
 
2001年からTeam-C全盛期を迎える
 
2002年以降もF1リーグを中心に活動を続けることになります。現メンバーの西尾、早風もこの頃にチーム入りし、共に大会へ参加することになります。そして2003年にはメンバーの成長も見られるようになり、大原由起がF1池田でF2優勝、女子優勝を飾ります。しかし、この年を最後に女子メンバーは競技活動から撤退し、Team-Cの規模も縮小されることになって行きました。
2003年のメンバーと、この年活躍した大原由起
 
2004年からは活動の中心をJPAリーグに移し、藤野、早風、西尾の3名で活動を継続することになります。この年、早風がF1紀ノ川でF2優勝を果たし、初の表彰台に上りました。その後もこのメンバーで競技活動を続けつつ、クラブのパイロットと行動を共にして現在に至ります。現メンバーはこの頃から競技活動を開始した者が中心となっています。
 
2004年に表彰台に立った早風と、この頃から活動開始したメンバーたち
 
メンバー
初期
(1996〜1997)

藤野

本馬

江上

高井

阪本
拡大期
(1998〜1999)

藤野

高林

佐藤

本馬

高井
全盛期
(2000〜2003)

藤野

佐藤

広野

高井

塚本

塩岡

若林

大原

山岸

早風

西尾

鍋島
継続期
(2004〜2008)

藤野

早風

西尾

小林

渡辺