獅子吼スカイフェスタ 2004

タイトル画像出典:NHK「プロジェクトX -挑戦者たち-」より

第3部:曳山の伝統を学べ・・・

2004/08/19UpDate


この物語は、獅子吼スカイフェスタで栄光を勝ち取るまでの、熱きフライヤーたちの挑戦の記録である・・・。


練られたシナリオ・・・

 今回の獅子吼スカイフェスタには、「曳山祭り」そのもので参加すると言うのが最大のウリだ。そのためには、現地で実際の祭りと同じようなムードを作り出す必要があった。恵子は、あるビデオテープを入手した。新湊曳山まつりを紹介したビデオだった。
 このビデオを見ながら、祭りで使われる御囃子や掛け声を研究しようとしたが、ナレーションを務める新湊出身の噺家志の輔の声やBGMにかき消され、上手く様子がつかめなかった。恵子にしても他のメンバーしても、曳山まつりを観に行ったことはあっても、曳きまわす側の動作や掛け声を細かく観察したことはなかったし、それが当然であろうと思う。普通の人であれば、このムードや勇壮な曳山を見るだけで、観光客よろしく満足してしまうものであろう。
 祭りのことは初めから無理を承知で取り組んでいたため、細かい事はともかく、現地で行う巡航の方法や演出のシナリオが練られた。大まかな流れとしては、テイクオフの上部にある広場で曳山が待機することになるので、ここでメンバーが曳きまわす前の景気付けに掛け声をかけ、その後でテイクオフまで曳山を巡航させながらテイクオフに運搬する。ここでの最大の見せ場は、道路からテイクオフに至る階段での旋回動作と、階段を降ろす時である。曳山はご存知の通りハンドルもなければ車輪が曲がる訳でもない。したがって、方向転換するのは人力のみなのだ。まさにことわざの「横車を押す」状態で旋回させなければ曲がることが出来ない。この旋回動作がダイナミックで迫力があり、曳山を見る上での重要なポイントになるのだ。これを、本物さながらの掛け声や笛などで盛り上げることで、周囲の興味を引き付けるのが狙いだった。

新湊のちょうちん山

救世主あらわる?

 曳山まつりの演出に力を注いでいた時に、遂に救世主が現れた。スクールの初心者コースで講習を受けていた人物が、現役の新湊曳山まつりで曳山を曳いていた。野村圭輔(のむらけいすけ)氏。後に、曳山インストラクターと呼ばれ、曳山の掛け声や振り、使う御囃子などの細部に至るまで、自らの経験と受け継いだ伝統を指導することになった。皆、心強かった・・・。

曳山インストラクター野村圭輔氏

 野村による本格的な指導が始まった。まずは、実際に曳山を曳く場合の人員配置から学んだ。通常、曳山自体にも乗り手が居るが、今回は乗り手が必要ないため、曳き手と先導役について指導を受けた。先導役は、町の青年団長が務めるのが慣わしだと言う。この大役は、一も二もなく委員長の小林が務めることになった。実物の場合、狭い路地を巡航するため、電柱や電線などの障害物に山が衝突しないように正確に曳山を誘導する。左右の指示は「田んぼ」や「浜」と言って猟師町の新湊らしい指示の方法であったが、今回は採用しなかった。
 また、野村は祭りで使う御囃子のCDも手に入れてきた。実際のシナリオに沿って、曳山の演出に合った御囃子を選曲した。現役の成せる業だった。

ムードをつかめ

 7月中旬、実際に曳き回す練習を行った。新湊の曳山まつりには欠かせない「はたき」も30本が用意された。これも恵子の手作りだった。

曳山を曳く練習

全体の動きを統制する小林委員長

 掛け声は「イヤサー!!」と大きな声でリズミカルに行う。はたきは下から上に振る。足を高く上げて歩く。笛は思い切って吹く。山を旋回させるときは、もっと重量感を出すように・・・。野村からは多くの指示が飛んだ。その言葉には重みがあった。伝統の重さだった・・・。
 練習の模様はビデオに撮られ、後から見直して修正すべき点を検討した。すでに新湊の曳山まつりと言うことは主催者に伝えてあった。当然パンフレットにも載るだろう。新湊の人が見た時に、「あれは新湊じゃない!」と言われたら困る。メンバーは、真剣になった・・・。

曲がった車軸

 祭りの練習も重要だが、それ以上にやっておかなければならないことがあった。それは、テイクオフの練習だった。パイロットを務める藤野が一番気にしていたのはテイクオフである。一度パイロットが曳山に乗ってしまえば自分で出来ることは限られてしまう。自分の手で握ったAライザーを押しライズアップ姿勢を作ることしか出来ないのだ。
 この曳山の構造上、テイクオフの大部分は周りのメンバーの手に委ねられる。ライズアップさえ出来れば、飛ぶには飛ぶだろうとは思っているが、不安は拭いきれなかった。
 梅雨末期の不安定な天気が続いたため、なかなか練習にかかれなかったが、ようやくその日がやって来た。最初のパイロット役は、自らが曳山を製作した関沢が行った。風は弱いがやってみるしかない。メンバーが配置に付き、ゆっくりと曳山を押した。機体は真っ直ぐ頭上に上がった。一気に加速をつけた。その時、機体が左に傾いてバランスが崩れた。と同時に、曳山も左に傾き危うく横転しそうになったが、すぐに受け止めて横転は免れた。左前輪は、過大な荷重がかかって曲がってしまった・・・。藤野はビビった・・・。言葉が出なかった。
 次は自分の番である。曳山に乗り込みハーネスを着けた。先ほどと同じようにゆっくりと曳山が動き出した。ライザーを力一杯前に押すと、機体は真っ直ぐ上がってきた。ここから一気に加速する。機体だけを見てコントロールした。傾かなかったが、浮く気配は感じられなかった。ますます不安になった。
 釣り位置が車軸にあり、先に車軸に対してテンションが加わるようになっているため、パイロットには浮力が感じられないだけだと言うことは、関沢から聞かされて納得していたが、それでも、飛んでみなければこの不安は治まらないだろう・・・。しかし、ここは関沢の設計とメンバーを信頼するしかないと思った。藤野は、「必ず飛ぶ」と言い聞かせた。

いざ!出陣!!

 7月30日。曳山を搬出する日である。本番での人員の動員と配置もほぼまとまり、後は明日を待つばかりであった。委員長の小林が、勤務先から調達したトラックに載せて曳山を運搬する。台風の影響が懸念されたが、天気はとりあえず晴れるようだ。
 「やれることはやった。明日からの本番は、存分に祭りを楽しめばいい」。トラックで運ばれる曳山が、そう言っている様だった。 

獅子吼へ向けてトラックに積み込まれる曳山


 


戻る